著者の歩いた道を辿ってみたい。
昭和12年に初めて奈良を訪れた著者が、戦時中の昭和17年に執筆したことがあとがきに書かれています。奈良の古寺は、太平洋戦争だけでなく幾多の内戦も経験して、今日に到っています。奈良の仏像は、人間の業をじっと見つめ続けてきたのでしょう。そこに人智を超えた安心が佇んでいるのだと思います。日本の文化に育ったものはいつか仏に救いを求める時が訪れるように感じます。戦時中に仏像を訪ねて歩く著者のこころは、不安に慄く現代人にも通じるところがあるように思います。古寺の成り立ちと伝説を織り込んで、み仏との真の出会いが簡潔に記された実に美しい文章です。著者の歩いた道を辿ってみたい気持ちになりました。
奈良の古寺
もともと1942年に養徳社から出たもの。その後も加筆され、本書は1953年に出た新潮文庫版を底版としている。さらに仮名遣いを改め、カラー写真も収録されている。
亀井勝一郎の代表作のひとつで、戦後の奈良ブームを引き起こしたことでも知られる本。しみじみとした味わいがあり、想像以上の名著であった。一方で、第二次大戦中に書かれたことによる影響も強く、国粋主義的な側面も目立つ。
取り上げられているのは、斑鳩宮、法隆寺、中宮時、薬師寺、新薬師寺、東大寺、法輪寺、唐招提寺。その建物、歴史、仏像についてじっくりと描かれている。特に歴史的な考察には深みがあり、聖徳太子や聖武天皇など、著者の脳裏に浮かんだ姿が、そのまま伝わってくるかのようだった。
いま読んでも充分に面白い本。ただ、ガイドブックに使ったりすると、現在の観光開発され、商業化した寺とのギャップに驚くかも知れない。
奈良に行きたくなります
新聞に書かれた光明皇后施浴の伝説の一文を読んで心引かれたので買いました。想像していた以上に面白く、一気に読んでしまったという感じです。奈良に行ってみたくなりました。修学旅行で訪れた奈良の大仏様が、焼き討ちにされたり、しばしば災禍をこうむって、江戸時代に再建されたとは知りませんでした。またこの本を読んで、以前見た美術展で一同に展示された仏像に違和感を覚えたのを思い出しました。展示された仏像に少し恥ずかしそうにしながら、そっと祈る人々の姿を見て、やはりそこには祈りの場所が必要だなあと感じました。そういう一人ひとりの祈りの中に仏像は在るように思います。仏とは?人間とは?永遠とは?死とは?・・・深く考えさせられます。何度も手元に置いて読み返したくなる良い本だと思います。
感情の発露をそこはかとなく散りばめるも、落ち着いた美文である
簡潔で無駄のない文章であるが、無表情ではない。仏に対する帰依の感情が抑えられた筆致で散りばめられている。美しい文章である。
自分でも行ったことのあるお寺が殆どだったので、実際の風景を思い出しながら、文章を楽しんだ。また私自身、年齢を重ねるにつれて仏像を美術品として見ることに違和感を覚えていたので、本書で語られている仏像への思いは非常に共感できた。
それにしても、戦争中または終戦直後に書かれたことに対して非常に驚きを感じる。世情が騒然としている中で、あえて時代とは逆行するようなことに関心を払い、文章を書き続けたことに対して、敬意を表したい。
奈良を訪れるということ
奈良を巡る際に持っていく本には三冊あると思う。一つは和辻哲郎の「古寺巡礼」、一つは堀辰雄の「大和路信濃路」、そうして最後の一つが本書である。 「古寺巡礼」は古寺に取り付かれた若き哲学者が その情熱のほとばしるままに 日本の美をアジテートしている。堀辰雄は いつもながらの繊細な神経で 奈良を彷徨し 古寺と堀自身が次第に溶け合って なんとも言えない一編の抒情詩に仕立て上がっている。 そんな二冊と比較すると 本書はどこか陰鬱である点は否めない。 解説に拠ると 敗戦に因る亀井自身の精神的危機を救ったのが 奈良であり 本書の執筆であったという。その解説が正しいとしたら 本書の持つ陰鬱さは 戦争責任を感じている一人の知識人の苦悩ということになるのだろうか。 それにしても古寺たちは 様々な戦争、人間、苦悩を目の当たりにしてきたのだと ふと思う。自分たちを訪れる人々は時代によって変わり、その祈りや苦悩も 時代によって変わってきているのを見て なんと感じてきたのか。 そんな風に思うと 自分自身が少し宗教的な感傷に包まれる。そもそも奈良は宗教的感傷が無くては成立しない異界でもあるのかもしれない。
新潮社
大和路・信濃路 (新潮文庫) 古寺巡礼 (岩波文庫) 土門拳 古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ (小学館文庫) 入江泰吉 私の大和路―春夏紀行 (小学館文庫) 土門拳 古寺を訪ねて―奈良西ノ京から室生へ (小学館文庫)
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